青森地方裁判所 平成9年(行ウ)1号 判決 1997年5月27日
原告
乙川春子
右訴訟代理人弁護士
石田恒久
被告
青森県市町村職員共済組合
右代表者理事長
中野掔司
右訴訟代理人弁護士
山崎智男
参加人
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
浅石大和
同
浅石紘爾
同
浅石晴代
主文
一 被告が原告に対し平成六年四月六日付けでした遺族共済年金支給決定の取消処分を取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とし、参加により生じた費用は参加人の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
主文と同旨
第二 本件取消処分に至る経緯
一 争いのない事実等
1 甲野太郎(大正五年九月一五日生、以下「太郎」という。)と参加人は、昭和一六年五月一三日に婚姻の届出をした夫婦であり、両者間に、長男丙山一男(昭和一一年一〇月四日生)、丁村夏子(昭和一四年六月一四日生)、二男一郎(昭和一六年五月三日生)、三男次郎(一郎と双子であるが、幼児期に死亡)、長女秋子(昭和一八年四月二八日生)、二女冬子(昭和二〇年六月二二日生)、四男三郎(昭和二二年八月一二日)、五男四郎(昭和二四年一〇月二四日生)、六男五郎(昭和二七年四月九日生)がある。なお、太郎は、丙山一男及び丁村夏子を認知しないまま死亡したが、丙山一男は、平成三年八月八日、裁判により太郎の子として認知された。
太郎と参加人は、丁村夏子の出生後に結婚式を挙げた。参加人は既に生まれていた二人の子供と共に、太郎及び同人の両親、弟夫婦らと同居し(以下、この家を「甲野の家」という。)、二男一郎出産後に入籍したが、その約一年後、太郎と共に実家に戻り、小屋を改造した居宅に移り住み、昭和三四年ころ以降は甲野の家に戻ることはなかった。太郎は、そのころから梅野松子(以下「梅野」という。)と交際するようになり、その後、原告と同棲を始めた。
なお、太郎、参加人及び原告の家族関係は、別紙記載のとおりである。
2 太郎は、昭和四八年一二月二〇日、青森県上北郡六ヶ所村村長選挙に当選して同村村長に就任したことで、被告組合員となり、その後、四期一六年にわたって村長の職にあったが、平成元年一二月一〇日の村長選挙で落選し、同月一九日、任期満了により村長の職を退任し、地方公務員等共済組合法(以下「法」という。)七八条一項一号、昭和六〇年法律第一〇八号附則一三条二項により退職共済年金の受給資格を取得したが、平成二年三月二日に死亡したため、法九九条一項四号及び右附則一三条二項により、太郎の「遺族」(法二条一項三号)には遺族共済年金が支給されることになった。
3 原告は、太郎死亡当時、同人と同居し、同人によって生計を維持していた者であるが、被告に対し、平成二年三月二八日、遺族共済年金の支給決定を求め、被告は、同年七月二三日、原告が法二条一項三号にいう「遺族」たる配偶者に該当するとして、右年金を支給する旨決定した。
他方、参加人も、平成三年一〇月二八日、原告と同様に、被告に対し右年金の支給を求めたが、被告は、平成四年一月二〇日、参加人が右「遺族」たる配偶者には該当しないとして、右年金を支給しない旨決定した。そこで、参加人は、同年三月一〇日、全国市町村職員共済組合連合会審査会(以下「審査会」という。)に対し、法一一七条に基づき行政不服審査法による審査請求をした。
審査会は、右審査請求に対し、平成六年二月二四日、太郎と参加人との婚姻関係について、太郎死亡当時、完全にその実体を失って離婚同様の状態になっていたとまでは判定できないことを理由に、参加人に遺族共済年金を支給しない旨の被告の処分は著しく妥当性を欠くとして、これを取り消す旨裁決した。これを受けて、被告は、同年四月六日、原告に対し、右年金を支給する旨の決定を取り消した(以下「本件取消処分」という。)。
そこで、原告が、太郎死亡当時、同人と参加人とは事実上の離婚状態にあり、かつ、太郎と原告とは事実上婚姻関係と同様の事情にあったとして、本件取消処分の取消しを求めて出訴したのが本件である。
二 争点及び当事者の主張
1 争点
(一) 原告が法二条一項三号所定の遺族(配偶者)に該当するか否か。
(二) 原告に対する遺族共済年金支給決定に手続上瑕疵があるか否か。
2 当事者の主張
(原告)
(一) 参加人は、太郎との婚姻届出をした約一年後には実家に戻り、その後、約二年間太郎と同居した後、太郎が時々参加人の実家へ通っていたことはあったが、昭和三三年一〇月ころ以降はそれもなくなり、太郎から参加人らに対する経済的な援助もなかった。
太郎は、参加人との離婚を望んでいたが、参加人がこれに応じないため、裁判による離婚しかないと考えていたが、村長選挙に対する影響等を考え、裁判による離婚手続に踏み切れなかった。太郎は、平成元年一二月一〇日、五選目の村長選挙に落選し、平成二年二月一九日に風邪をひいて寝込み、同月二三日に近隣の診療所に行き、次いで同月二五日には青森県上北郡天間林村内の病院に入院したが、同年三月二日死亡した。
このように、太郎と参加人とは事実上の離婚状態にあったが、太郎は、裁判による離婚手続を控えているうちに、落選し、その落胆から立ち直ることができないうちに急死したため、結局、参加人との離婚手続を進める時間的余裕がなかったというべきである。
(二) 太郎は、昭和三四年ころから梅野と交際し、同女宅へ通うようになったが、昭和四六年二月一六日から原告宅で原告と暮すようになり、昭和四八年に六ヶ所村村長に当選した後は、原告と共に公的行事に参加したり、仲人を務めたりするなど、原告を村長夫人として扱い、周囲もそのように扱っていた。すなわち、太郎と原告とは夫婦として社会的に認知されていた。
また、太郎は原告に対し、生活費を渡していたほか、自己名義の預金九八〇万円を贈与し、昭和五七年二月ころ、村長として地域住民の集会に備えて原告の自宅を改築して二五畳間の部屋を増築するために六〇〇万円を拠出し、平成二年一月一一日、太郎の退職金から五〇〇万円を贈与した。
このように、原告は、太郎と事実上婚姻関係と同様の事情にあり、かつ、同人によって生計を維持していたものであるから、法二条一項三号の「遺族」たる配偶者に該当するというべきである。
(被告及び参加人)
(一) 参加人は、太郎との婚姻届出をした後、甲野の家に入ったが、舅の多数回による性的暴力や他の家族によるいじめに耐えきれず、太郎と共に参加人の実家にあった小屋を改造した居宅に移り住んだり、太郎の説得で甲野の家に戻るということを何回か繰り返した後、昭和三四年ころ以降は甲野の家に戻らなかった。
太郎は、そのころから梅野と交際し、次いで昭和五三年ころから原告と交際するようになったが、梅野との交際期間中は月の半分程度、原告との交際期間中は月二、三回、参加人宅を訪れ、参加人と交流を保っていた。参加人も太郎も、住民登録票を甲野の実家から移すことはしなかった。
また、太郎は、参加人に対し、定期的ではないが、生活費名目で一か月当たり二、三万円ないし五、六万円の金員を渡したり、魚介類を届けたりした。また、死亡する三、四年前まで参加人の国民健康保険の保険料を、死亡直前まで参加人が保険契約者となっている生命保険の掛け金を支払った。さらに、太郎は、参加人に対し、昭和四二年一〇月ころに住宅新築資金の一部として一二〇万円を、昭和四三年四月に六男甲野五郎が高校に入学した際に入学祝金、学費として五〇万円を、昭和四七年に丙山一男の漁船購入代金の内二〇〇万円を、昭和五九年に参加人の手術代として一〇〇万円をそれぞれ援助した。なお、太郎は、二女丙山冬子の就職斡旋にも尽力した。
参加人は、太郎に対して協議離婚の申出をしたことはあったが、太郎がこれに応じないので、離婚に向けた手続やその準備をしなかったため、いずれは太郎が参加人のところへ戻ってくるものと思って泊部落から転出しなかったし、太郎も晩年には参加人とやり直す意思を表明していた。
このように、太郎には、参加人と離婚する意思はなく、原告と正式に婚姻する意思もなかったのであって、参加人と太郎との間に離婚の合意はなく、かえって、婚姻関係を維持、継続しようとする意思が認められるから、太郎と参加人との婚姻関係が形骸化していたということはできず、事実上の離婚状態にはなかったというべきである。
(二) 太郎が原告と同居するようになったのは、昭和五三年ころであるが、同人らは披露宴などの儀式を行わず、社会的なけじめもないままに同棲生活を始めたものであり、前記のとおり、太郎は住民登録票を原告方に移していない。また、原告は、太郎に対し、参加人と離婚して原告と正式に婚姻するように積極的に働きかけたりもしていない。
さらに、太郎と原告は子供を作ろうとしなかったこと、太郎は、村長退職後も原告と同じ国民健康保険台帳に登録せず、原告を税法上の控除対象者としても届け出ていなかったこと、原告は、太郎の死亡に際し、その届出をしたわけではなく、また、喪主にもならず、太郎の法要は甲野家によって行われたこと、太郎から原告に対する遺贈や不動産の生前贈与もなかったこと等の事情も考え合わせると、原告と太郎の同居は、内縁関係の成立に必要な要件を満たしていないというべきである。
(参加人)
被告が原告に対してした遺族共済年金の支給決定には、次のとおり、その手続に瑕疵がある。すなわち、
右支給決定に際して、共済年金課の調査は一方的に原告側の協力の下に行われたもので、公平性、公正性に疑問があり、原告作成の遺族共済年金決定請求書(丙第一号証)には所属機関の長である六ヶ所村村長の事実証明印がなく、同村長の決済がないまま被告に提出されたものであり、原告の右請求自体の効力に疑義がある。
また、原告は、元組合員の太郎から合計一三四四万二〇一九円の贈与を受け、同額の収入を得ていたものであるから、法四条所定の認定要件にも該当しない。
第三 証拠関係
本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。
第四 争点に対する判断
一 法九九条は、退職共済年金の受給権者の「遺族」に遺族共済年金を支給する旨規定しているところ、法二条一項三号は、「遺族」について、「組合員又は組合員であった者の配偶者、子、父母、孫、及び祖父母で、組合員又は組合員であった者の死亡の当時その者によって生計を維持していた者をいう。」と規定し、同項二号は、右「配偶者」について、「届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。」と規定している。
問題となるのは、法律婚関係にある組合員又は組合員であった者(以下、まとめて「組合員」という。)と重ねて内縁関係(いわゆる重婚的内縁関係)にある者が、遺族としての受給権を有する「配偶者」に該当するか否かである。民法が法律婚主義を採用していることに照らすと、法律婚関係が優先し、原則として、重婚的内縁関係にある者は右配偶者に該当しないと解すべきである。しかし、遺族共済年金の制度が、組合員死亡の場合のその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とし(法一条一項)、組合員等によって生計を維持していたことを「遺族」の要件としていることに鑑みれば、客観的にみて、法律婚関係がその実体を失って形骸化し、かつ、その状態が固定化して近い将来解消される見込みがないとき、すなわち、事実上の離婚状態にある等特段の事情がある場合には、例外的に、組合員と重婚的内縁関係にある者も、右年金の受給権者である配偶者に該当する余地があると解するのが相当である。
そこで、本件においては、まず、太郎とその戸籍上の妻である参加人との法律婚関係が右のような事実上の離婚状態にあるかどうかを検討し、これが認められるときには、さらに、太郎と原告との関係が事実上婚姻関係と同様の事情にあるかどうかを検討すべきことになる。
二 前記争いのない事実に証拠(甲第一号証、第二号証、第三号証の一ないし五、第四号証の一ないし二七、第五ないし第一三号証、第一六号証、第一七号証、第一九号証、第二一ないし第二三号証、第二五号証、第二六号証、第二七号証の一ないし七九、第二八号証の一ないし一一、第二九ないし第三四号証、第三五号証の一及び二、第三六ないし第四一号証、乙第一号証の一ないし一二五、第二号証、丙第一ないし第六号証、第一〇ないし第一四号証、第一五号証の一及び二、第一六ないし第二一号証、証人丙山一男、同川上弘志、同三角武男、原告本人、参加人)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の各事実が認められる。
1 太郎と参加人との婚姻生活
太郎と参加人とは、昭和一〇年ころから交際を始め、両者の間に、昭和一一年一〇月四日に丙山一男が、昭和一四年六月一四日に丁村夏子がそれぞれ生まれた。その後、参加人は、太郎と結婚式を挙げて右二人の子供と共に甲野の家に入り、二男一郎を出産した後、昭和一六年五月一三日、太郎との婚姻の届出をした。
参加人は、太郎の両親等との折り合いが芳しくなかったため、約一年後、太郎や子供たちと共に甲野の家を出て、参加人の実家にあった小屋を居住用に改造して生活するようになり、その後、数回、甲野の家と右居宅の生活を繰り返した後、昭和三四年ころ以降は、二度と甲野の家に戻ることはなかった。その間、太郎と参加人との間には、昭和一八年四月二八日に長女秋子が、昭和二〇年六月二二日に二女冬子が、昭和二二年八月一二日に四男三郎が、昭和二四年一〇月二四日に五男四郎が、昭和二七年四月九日に六男五郎がそれぞれ生まれた。
ところが、太郎は昭和三五、六年ころから梅野と交際し、同人宅へ通うようになり、梅野との交際は昭和四三年ころまで続いた。
他方、参加人は、昭和四三年ころ、丙山一男宅に転居し、以後現在まで同人宅で生活している。
なお、太郎は、昭和六三年一〇月ころ、原告とともに青森市内の弁護士を訪ね、離婚のことや遺族年金のことについて相談し、弁護士から、参加人と早く離婚した方がよいとの助言を受けたが、その後、参加人と離婚するための法的手続等に着手した形跡はなく、参加人においても、太郎が長期間にわたり原告や別の女性と同居していたにもかかわらず、これに対して強く抗議したり、あるいは、原告と別れて自分のもとに戻るように説得するなど法律婚関係の修復に向けた努力や具体的行動を起こした形跡はない。
2 太郎と原告の同棲生活
原告は、昭和四二年七月に夫を亡くした後、甲野の家の向いにある自宅で食堂経営をして亡夫との間にもうけた一男五女との生活を維持していたが、昭和四四年一月ころ、太郎から次期村長選挙に立候補するので身の回りの世話をしてほしいと言われ、昭和四六年二月一六日ころ、自宅に太郎を迎え、同人との同棲を始め、昭和四七年ころには自宅を食堂から雑貨店に変えた。
太郎は、原告と同居生活を始めた当時、六ヶ所村村議会議長、泊漁協組合長、森林組合長などを務めていたが、昭和四八年一二月、六ヶ所村村長選挙に立候補して当選し、平成元年一二月一〇日の同選挙に落選するまでの四期一六年にわたって村長を務めた。
その間、原告は、太郎の事実上の妻として、太郎の身の回りの世話をしたほか、対外的に、太郎の後援会活動や村長選挙の選挙運動を行い、昭和四九年七月に東京都赤坂所在の迎賓館で行われた青森県市町村長の会合に太郎の妻として出席したり、太郎と二人で結婚式の仲人を務めるなど村長夫人として行動し、周囲から「村長のおっかあ」などと呼ばれていた。また、太郎も、原告の長男(昭和六〇年三月挙式)と五女(昭和六二年四月挙式)の各結婚式に出席するなど原告の夫として行動し、昭和五二年ころからは自己名義の預金通帳や印鑑を原告に預けていた。
ところで、太郎と原告との同棲関係の時期について、参加人は、太郎は昭和五二年ころまで梅野と交際していたから、原告と同居したのはそれ以降である旨供述し、梅野もそれに副う陳述をする(丙第一〇号証)。しかし、参加人の右供述を裏付ける客観的資料はなく、参加人自身、当初は、太郎が梅野と交際を始めたのは昭和四二年ころで、一〇年間くらい交際していたと述べていた(甲第四号証の一三、乙第一号証の二二)のに、その後、太郎は昭和三五年ころから昭和五二年ころまで梅野と交際していたと述べる等(丙第一六号証、参加人)、供述内容が不自然に変遷している。また、梅野の昭和五二年まで交際していた旨の陳述は具体性に乏しい上に、右陳述書(丙第一〇号証)を否定するような陳述書(甲第三四号証)もあり、採用できない。これに対し、原告の供述は、太郎から村長選挙に立候補するから一緒に暮らすように求められたとか、昭和四九年七月に東京都赤坂所在の迎賓館で行われた青森県市町村長の会合に太郎と夫婦として出席したというもので、時期を特定することができるような具体的な供述内容である(甲第四号証の一三、乙第一号証の二六、原告)。そして、六ヶ所村役場の総務課長は、太郎が昭和四八年に村長に初当選した後は原告宅から登庁していた旨陳述し(甲第四号証の一一、乙第一号証の二三)、川上弘志は、昭和四七、八年ころ、太郎から原告を妻として紹介されたこと、原告宅にいた太郎と原告とは夫婦同然の雰囲気であったことを供述し(甲第二六号証、丙第一九号証、証人川上弘志)、原告の右供述を裏付けているが、いずれも原告や参加人と特に親しい関係にある人物ではなく、中立的な立場にあると考えられる者の供述であるから、その信用性は高いものである。したがって、原告と太郎が同棲を始めたのは昭和四六年ころであると認められる。
3 太郎の原告に対する経済的援助
原告は、昭和四九年に自宅の雑貨店を閉めた後は、太郎の村長としての収入で家計を支えていた。太郎は、平成元年一二月一一日、同月九日に受領した村長の退職金一二四七万円余の中から、原告名義の預金口座に五〇〇万円を入金するとともに、甲野秋子にも五〇〇万円を贈与し、原告に対しては、さらに、預けていた預金通帳の預金八四〇万円余を贈与した。なお、甲野秋子は、太郎と参加人との間の子であるが、参加人とは別に甲野の家で育ち、婿養子を得た上で、甲野家の長男である太郎の子として甲野家の跡を継いだ者である。
4 太郎の村長選挙落選と急死
太郎は、村長選挙落選後も原告との生活を続けていたが、右落選により非常に落胆していたところ、平成二年二月一九日、風邪をひき、同月二三日、近所の診療所で診察を受け、さらに嘔吐等の症状により、同月二五日、青森県上北郡天間林村の工藤病院に入院し、原告や甲野秋子夫婦が看病したものの、五日後の同年三月二日、急性胃潰瘍により死亡した。太郎の葬儀は、甲野秋子の夫C2が喪主となり、原告を妻とし、太郎の兄弟等との連名で新聞に死亡広告を載せ、参加人や子供ら(甲野秋子を除く。)の関与のないまま執り行われた。なお、参加人らは葬儀に出席しなかった。
5 太郎の住民登録等
参加人及び太郎は、住民登録を甲野の実家である<住所略>から移しておらず、太郎は、原告、参加人のいずれをも税法上の控除対象者として届け出たことはない。
6 太郎の参加人に対する経済的援助等の有無
参加人は、太郎は原告との同居中も、参加人宅を訪問するなど交流を保ち、参加人に対し、定期的ではないが、直接もしくは間接に生活費名目で一か月当たり二、三万円ないし五、六万円を渡していたほか、参加人の国民健康保険の保険料や参加人名義の生命保険の掛け金を支払い、昭和四二年一〇月ころに住宅新築資金の一部として一二〇万円、昭和四三年四月ころに六男甲野五郎の高校入学の祝金及び学費として五〇万円、昭和四七年ころに丙山一男の漁船購入代金の一部として二〇〇万円、昭和五九年に参加人の手術代として一〇〇万円をそれぞれ援助した旨主張する。
しかし、右主張に副う証拠は、参加人の供述及びいずれも参加人と血縁関係にある者やこれらの者と親しい関係にある者の陳述書等であって、そもそもその供述の信用性自体に疑問がある上、これらの者の陳述書等については、当初、被告による調査の際、参加人が、太郎は人目を忍んで来た、訪問や経済的援助を受けていた事実を証明できる人はいないなどと述べていたにもかかわらず(甲第四号証の一、二及び一〇、乙第一号証の一三、一四及び二二)、審査会の審査段階になって多数提出されたものであるから、これらの供述書等の内容をそのまま採用することはできないといわねばならない。また、このうち、参加人の手術代一〇〇万円については、参加人は、入院前に家に持ってきたり、娘である丙山冬子に持たせたりしたなどと供述をしているが(甲第四号証の一三、乙第一号証の二二、丙第一六号証、参加人)、右供述自体曖昧である上、右手術代を持参したとする丙山冬子の供述はなく、他方、甲野五郎はこれと明らかに矛盾する供述をしている(乙第一号証の四七)。
そして、他に参加人の右主張を認めるに足りる客観的資料や第三者的立場にある者の供述は存在しないから、少なくとも太郎が原告と同居したころ以降は、参加人が主張するような太郎の訪問や経済的援助があったと認めることはできないといわざるを得ない。
なお、参加人が主張する住宅新築資金二〇〇万円、入学祝等五〇万円、漁船購入費用二〇〇万円の各援助や丙山冬子の就職斡旋については、それらの事実を認めることができない上に、仮にこれらの事実が認められるとしても、いずれも参加人に対する経済的援助としてではなく、太郎の子供に対するものであるから、これらを重視することはできない。
7 太郎の復縁の意思について
また、参加人は、太郎には参加人と離婚する意思はなく、晩年には原告と別れて参加人とやり直す旨表明していたと主張し、これに副う供述がある(乙第一号証の四九及び七五、丙第一五号証の一及び二、第一六号証、証人C3、参加人)。
しかし、丁村夏子やC3は、いずれも参加人と血縁関係にある者もしくは親しい関係にある者であって、前記のとおり、そもそも供述の信用性自体に疑問がある。しかも、原告は、太郎は参加人宅を定期的に訪問したり経済的援助をしたことはないと供述し(甲第四号証の一五、乙第一号証の二七、甲第二九号証、原告本人)、中立的な立場にあり、その供述の信用性は高いものと認められる証人川上弘志も、太郎が、昭和四〇年代ころに「女房とは絶縁状態だ。」、「花子には何もやらない、籍を抜きたい。」、平成元年の村長選挙落選後に「あんなやつ(参加人のこと)には何もやらない。」などと言っていたと述べている(甲第二六号証、丙第一九号証、証人川上弘志)ことからすると、これと明らかに矛盾する丁村夏子やC3の供述を採用することはできない。そして、前記認定のとおり、太郎は、約十九年余り原告と同居して夫婦同然に行動したが、この間、参加人との法律婚関係を修復するための具体的行動をとった事実は認められないことも考慮すると、太郎に、参加人の供述するような言動があった事実は認められない。
三 以上認定した事実によれば、太郎と参加人の間には、法律婚関係を解消する明示の合意はなく、太郎から参加人に対し、積極的に離婚を求めて裁判等の法的手段に訴えたことはないものの、昭和四六年二月原告との同棲を始めてから平成二年三月に太郎が死亡するまで、約一九年余り別居状態にあり、その間、相互に自分のもとへ戻るように求めるなど法律婚関係の修復に努力した形跡もなく、夫婦としての日常的交流や経済的依存関係も認められないのであるから、参加人は、むしろ、太郎と原告の関係を黙認していたというべきであって、太郎及び参加人双方ともに法律婚関係を修復しようという意思はなく、両名の法律婚関係が修復される可能性はなかったといわざるを得ない。したがって、右事情の下では、太郎と参加人との法律婚関係は、その実体を失って形骸化し、かつ、その状態が固定化して近い将来解消される見込みがない状態、すなわち事実上の離婚状態にあったものと認めるのが相当である。
他方、前記認定事実によれば、原告が、太郎と事実上婚姻関係と同様の事情にあり、同人によって生計を維持していたことは明らかであるから、原告は、法二条一項三号の「遺族」たる配偶者に該当すると認めるのが相当である。
そうすると、原告が右「遺族」たる配偶者に該当しないとして、原告に対する遺族共済年金支給決定を取り消した本件取消処分は違法といわざるを得ず、その取消しを求める原告の請求は理由がある。
四 なお、参加人は、原告に対する遺族共済年金支給決定には手続的瑕疵が存在すると主張するが、右処分の取消しを内容とする本件取消処分(及びその前提となった審査会による裁決)は、原告が法二条一項三号の「遺族」たる配偶者に該当しないことを理由としてなされたものであって、右処分(及び裁決)に際して参加人が主張するような手続的瑕疵の有無は全く考慮されていないのであるから、参加人の右主張は、本件取消処分の違法性についての判断に影響を及ぼすものではなく、主張自体失当である。
五 ところで、参加人は、本件口頭弁論の終結後、口頭弁論の再開を上申するとともに、当事者参加の申立て(民事訴訟法七一条)をしたが、当裁判所は、本件口頭弁論の再開をしなかったので、右当事者参加の申立てについての許否並びに審理をしないこととする。
第五 結論
以上の次第で、原告の本訴請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官羽田弘 裁判官平島正道 裁判官柴山智は、転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官羽田弘)
<別紙>